「患者さんの笑顔が見たい」

そんな思いで、気持ちをこめて施術に取り組んでおります

北川 勇介

北川 勇介
Yusuke Kitagawa
1977年1月5日生まれ

アトラス・オーソゴナル・ジャパン(AOJ) 事務局長
日本カイロプラクティック徒手医学会(JSCC)会員
マニュアル・メディスン研究会会員
日本カイロプラクティック徒手医学会名古屋支部(JSCC-N)副支部長・会計

1994年 愛知県立一宮高校卒業
1998年 国立金沢大学教育学部スポーツ科学課程卒業
保健体育教員免許取得(中学・高校)
2000年 シオカワスクール・オブ・カイロプラクティック本科卒業
シオカワスクール在学中より2008年7月まで今井医院・今井治療室にて勤務
2003年 第5回日本カイロプラクティック徒手医学会学術大会で
「アトラス・オーソゴナル法とその症例について」一般講演
2005年 第7回日本カイロプラクティック徒手医学会学術大会で
「アトラス・オーソゴナル法と平衡機能の変化」ポスター発表
2006年 学術論文「アトラス・オーソゴナル法と平衡機能の変化」奨励賞受賞
2008年9月 愛知県一宮市に北川カイロプラクティックをオープン

ごあいさつ

アトラス・オーソゴナル創始者のDr. Roy W. Sweatとの写真
アトラス・オーソゴナル創始者のDr. Roy W. Sweatと

数あるホームページの中から、「北川カイロプラクティック」のホームページへご訪問いただき、ありがとうございます。
私が、カイロプラクティックと出会ったのは高校2年生の時でした。野球で痛めてしまった肩の治療のために整体や接骨院、鍼灸、マッサージなど様々なところへ行きましたがなかなか改善せず、もがき苦しんでいたところでカイロプラクティックを紹介されたのです。その当時はもちろんカイロプラクティックなんて何かも分かりませんでしたが、とにかく治りたいという思いで行ってみることにしました。1回目の施術後から、「これは今までの治療と何か違う」というような感じがあり、そしてその2ヵ月後には不安こそ残るものの、かなり投げられるようになっていたのです。この経験から、自分もカイロプラクターになって困っている人を助けたいと思うようになったのです。その後も大学で野球を続けることになりますが、4年生の最後まで続けることが出来たのも、やはりカイロプラクティックのおかげでした。
大学を卒業後、日本におけるカイロプラクティック界のパイオニアである塩川満章D.C.(Doctor of Chiropractic)のシオカワスクール・オブ・カイロプラクティックへ入学し、カイロプラクティックの基本である「哲学・科学・芸術」を学びます。
また、シオカワスクール在学中から「今井医院・今井治療室」にアルバイトとして入ることになります。ここでは、内科・はり灸・カイロプラクティックを行っており、本当にいろいろな患者さんに出会うことが出来ました。特にレントゲンに関しては、おそらく2000症例以上見ているのではないでしょうか。これは、本当にいい経験となっています。現在の私の施術スタイルはほとんどがここで培われたものです。本当に今井力院長と今井素子室長には心から感謝しております。
また施術を続けていく中で体の土台となる足の重要性を痛感し、機能的インソールについても2005年から勉強しております。
足底板療法の教育に関しては株式会社インパクトトレーディングが行っているスーパーフィートのTECHシステム1-5と、アメリカの足病医の権威であるクリストファー・E・スミスD.P.M.(Doctor of Podiatric Medicine)によるセミナーを修了しております。
そして、2008年7月末をもって約10年間勤務した「今井医院・今井治療室」を退職し、地元である愛知県一宮市へ戻ってまいりました。そして、アトラス・オーソゴナル・カイロプラクティックによる上部頚椎へのアプローチをメインとしたカイロプラクティックに、足底板療法を組み合わせたカイロプラクティックオフィスを尾張一宮駅前(名鉄一宮駅前)にて2008年9月18日にオープンいたしました。
これからは、ここ尾張一宮でアトラス・オーソゴナル・カイロプラクティックを普及させ、困っている人を少しでも助けることができるように、今までの経験を生かして全力で頑張って行きたいと思います。
今後ともよろしくお願い致します。

「患者さんの笑顔が見たい」
そんな思いで、気持ちをこめて施術に取り組んでおります。

北川カイロプラクティック  北川 勇介
時局(2010年11月)
時局(2010年11月)
CHIRO-JOURNAL(2006年11月11日)
CHIRO-JOURNAL(2006年11月11日)